2015年8月20日木曜日

Jon E.Tarantino

あまり知られていないが...タランティーノが今のグラスファイバー・ロッドの基礎を築いたと言っても過言では無いだろう。1957年~1966年まで1世界キャスティングトーナメントのチャンピオンの座にあった彼は1950年後半にウインストンからケネディー・フィッシャー社に移籍したフライロッド・デザイナー、ダグ・メリック(Doug Merrick)の紹介でフィッシャー社のロッド設計に関与して、スピゴット・フェルールを開発した。それまで継なぎは金属フェルールに頼っていたグラスロッドの大きな進歩と言える...また彼は当時3Mのサイエンティフィック・アングラーズScientific Anglers社のフライライン開発にも寄与している。タランティーノの功績はロッド、ライン、はたまた3M「システムリール」本邦では「マーキス」として知られているフライリールにまで及ぶ。1964年以降、米国内でのハーディ社代理店も勤めた...1960年代のフライフィッシング界、時代の寵児は1970年のある朝、父親の所有する冷蔵倉庫内で強盗に射殺され、32歳の太く、短い生涯を終えている(資料はJames L.Hardy氏の談話・元英国ハーディ社製品輸入元・アングラーズリサーチ社社長、荒井 利治氏のウエブサイトから。氏は2005年他界。取り扱われたHardy社に関する貴重なお話を多く残されている)
ハーディ社のグラスロッドシリーズに「JET」と冠したモノがあったが、これは開発 にあたった「Jon E. Tarantino」 に敬意を表し名付けられたと聞く...

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